Beyond The Mountain

登りたいのは山々

僕らが山に登る理由

どうして山に登るの?

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「そこに山があるから(Because, it is there)」と答えたと言われているのは世界初のエベレスト登頂を目指したイギリスの登山家ジョージ・マロリーですが、山に登る人は(例え8,000m峰でなく低山であっても)多かれ少なかれ同じような質問をされることがあると思うんです。
僕もいままで何度か同じ質問を聞かれたことがあります。
その度に「運動不足解消」や「健康のため」だとか「達成感を得るため」だとか答えていますが、そのどれもが間違った答えではないんだけれど、すごく的を射た答えっていう訳でもない、少しもやもやとした思いを抱えてしまいます。

話は変わるんですが、日本人初の8000m峰全14座の登頂者竹内洋岳さんは、「登山はスポーツでなくてはならないと思う」とおっしゃられてます。
山登り・登山を、もしスポーツだと定義するのであれば、それはかなり特殊なスポーツだと言わざるを得ないと思います。
なぜなら他のスポーツのように定められたルールもなければ、審判もいないから。
高く登るのがいいのか、早く下山するのがいいのか、難しいバリエーションルートで登るのがいいのか。どれがいいのかは、それぞれの登山者の考えによるところが大きいからです。

登山というスポーツにおいて、もしひとつだけルールを挙げるとするのであれば、その唯一のルールは「苛酷な自然環境の下で行うこと」と言えるような気がします。

落石、落雷、降雨、吹雪。

それらの自然環境が、登山というスポーツにおける唯一のルールブックであるだろうし、それらの厳しい自然環境が想定の範囲内だと言えるスポーツが登山だと思うのです。
どんなスポーツでも怪我など危険はつきものですが、こと登山ほど自然を前に人間が簡単に死んでしまうようなスポーツは他にありません。
国内で毎年200人300人と死者や行方不明者が出るようなスポーツは登山の他にないと思います。

そう考えると最初にあげた疑問はますます大きくなるばかり。

「なぜ人は山に登るのか。」

僕にはまだはっきりとした理由が思いつきませんが、「何かに駆り立てられるから」と言うような漠然とした答えが思い浮かびます。
言い換えればそれは「本能」と言うものかも知れません。

元々僕たち人間がこの地球上に生まれるずっとずっと昔から、山はすでにそこにありました。
僕たちの祖先はすでにそこに存在した山のてっぺん目指して登ろう登ろうとしていたような気がしてなりません。
登ることが出来ないような山であれば、山を麓から見上げ崇拝したり。山岳信仰のようなものですよね。

何万年、何十万年前の昔から、そうして脈々と現代まで「山に登ること」は僕たちの身体の中に伝えられて来たような気がします。
それは「山に登ることによって、自分が生きていることを強く感じられる」というようなものかも知れません。

万人の身体の中に「山に登ること」が脈々と伝わっているとは思いませんが、「走ること」や「岩に登ること」、「水の中を自在に泳ぐこと」、何かしらを僕たちは受け継いで生まれて来ているような気がします。
パフォーマンスを発揮するのは、人それぞれ。その人次第なのかも知れませんね。

僕個人に関して言えば、以前の記事で書いたように山登りをしていた祖父の影響もあるでしょう。
また同居していた祖父が亡くなった後は、父と母2人が山登りを始めたことも関係あると思います。

いずれにせよ、祖父が登って見た景色、母が登って見た景色。
いまは亡き近しい人が見たものと同じ景色を見たいということが僕を山に登らせる1番の理由かも知れません。